皆様、おはようございます。
昨日、下記の様な記事を拝見しました。
フランスと言えば、「フレンチ」と言う言葉がある様にインテリアの文化が有名ですね。
ところが実態は?と言えば、本当にショックです。
いやあ、今日まで知りませんでした。
だから、あまりのギャップに驚いています。
マリーアントワネット好きな方は、この事をご存知なのでしょうか?
またしても、引用掲載させて頂きます。(苦笑)
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肌はボロボロ、虫歯にシラミ、尿の香りに包まれて──ベルサイユ宮殿の生活ぶりに戦慄がとまらない
体を洗わない、尿で口をすすぐ、鉛を肌に塗りたくって毛穴を埋める……豪華絢爛なベルサイユ宮殿での生活は、想像を絶するほど不衛生なものだった。
スペイン・バリャドリッド大学の教授がその生活ぶりを解説する。
17~18世紀のベルサイユ宮殿は見栄と権力の中心であり、その主人(あるじ)であった3人の国王、ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世は、そこをフランス王政の歴史が展開される豪華絢爛な住まいに仕立てた。
ところが──そこは、尿の臭いに包まれていた。
「ベルサイユは何か嫌な臭いがした」 歴史家のジョルジュ・ヴィガレロは、著書『清潔と不潔──中世以降の身体の衛生』にそう書いている。
また、独仏共同出資のテレビ局「ARTE」の衛生史に関するドキュメンタリーでも、同様の解説がされている。
ヴィガレロによると、どの時代の人々も、自分たちが生きる時代が最も清潔だと感じてきた。
だが21世紀の視点から過去を振り返ると、かなり驚かされるものがある。
水が怖くてシラミだらけ
多くの死をもたらしたペストの流行は、水への恐怖を生んだ。
17~18世紀のフランスでは水との接触は「危険」とみなされた。
また、いかなる場合も入浴にお湯が使われることはなかった。
毛穴が開くと、そこから病が忍び込むと考えられていたのだ。
入浴することで活力が失われ、流産や不妊症を引き起こすとも思われていた。
だがその一方で、特定の病には治癒効果がありうるとも信じられていた。
衛生管理は、体を濡らさずにおこなわれた。
毎朝、王と王妃は起床するとまず最初に、選ばれた一部の貴族たちの前で手を洗った。
それが水との唯一の接触で、体は香水をつけた木綿の布で拭いた。
体の衛生は重視されなかったが、下着の衛生は重視された。
実際、当時は1日に複数回、下着を替えた。
男性の下着も女性の下着も一種のネグリジェのようなものだった。
非常に高価だったため、自らの社会的地位や経済力を見せつけるものでもあった。
そのため、手首や首周りの豪華なレースをわざと覗かせていた。
下着の扱いは、遺言にまで記載されていたほどだ。 当時の人々は頭髪を洗うこともなかった。
そのため、シラミがいないことは稀だった。
ドライシャンプーを使い、悪臭をごまかすため髪に粉をふりかけたが、そのせいで若くして頭髪を失っていた。
その結果カツラが流行ったが、うなじが痛くなったり、不快な感覚を伴ったりもした。
歯磨きの仕上げは尿で
当時のほとんどの人の歯は汚く、虫歯だらけだった。
だがそれも「幸運にも」歯が残っていればの話だ。
というのも、歯周病を患ったり、歯が抜けたりすることは珍しくなかったからだ。
そのため、当時の肖像画に描かれている人の大半が口を閉じ、ほとんど笑っていない。
歯を磨く際は、布製の小袋に大理石の粉末と植物の根っこを詰めたものを使用していた。
また、口臭をごまかすためにタバコや香草を噛み、ときには尿で口をすすぐことすらあった。
鉛で美肌を追求
当時は毛穴を埋め、肌をできるだけ白く見せる必要があった。
「清らかな肌」は「清らかな心」を意味したからだ。
だから、傷も吹き出物もあってはならなかった。
また美しい肌は、庶民とは違う上流階級の証でもあった。
なぜなら日焼けしていることは、働いていることを意味し、従って貴族ではないことを示していたからだ。
肌を白くするために「ブラン・ドゥ・セリューズ(鉛白)」と呼ばれる鉛が原料のおしろいが用いられた。これは顔料だが、有毒で、収斂する性質があった。
肌を極度に乾燥させるため老化を早め、さらに目や呼吸器官に重い病を引き起こした。
当時の人々はまた、魅惑的で優美に見せるために、つけぼくろを用いた。
それは「蠅」を意味する「ムーシュ」と呼ばれ、タフタ生地で作られていた。
肌の見栄えが悪い箇所や天然痘跡につけることが多かったが、つける場所によって意味があり、誘惑の道具として使われた。
一方、唇や頬には濃い紅色の化粧を施し、演劇的で非現実的な印象を与えた。
いやあ、それにしても豪華絢爛な部屋の中において、常に尿の異臭を発していたとは幻滅ですなあ(苦笑)
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